2011年8月4日木曜日

[クラフト]コーヒー焙煎始めました。

私、もう一度原点に戻る為にコーヒー焙煎を始めました。 
毎週焙煎はしていますがいつもほとんど同じ焼き方です。
お客様からの遠赤コーヒー焙煎キットの色々なご質問への回答していて、私自身知っているつもりだったけどまだまだだなって。おとといから浅煎り焙煎を手始めに皆さんに順次報告していきますね。

まずブラジルサントス100gをライト〜シナモンローストから始めました。
火力は何時もと違う弱火。1ハゼが始まるまでに約7分かかります。









左が1ハゼから10秒、右は1ハゼから1分後に火を消し冷却した物です。
(実際の色はもう少し薄いです。)
やはり右の方が少し褐色が濃くなっています。淹れてみます。
こんな感じのアメリカンになりました。
そして肝心の飲んだ感想。
]は今まで飲んでいたものと全く違うけれどすっきりとした酸味があり、穀物の風味が隠れています。今までは深く焙煎しコクと苦みの強い物を好んで飲んでいましたが意外に飲めたのでカンドーです。
次に[]焙煎時間が少し長くなっているので美味しいかなっと思ったらさにあらず。
薄っぺらで,少しいやな酸味が・・・

飲めないことはないですが飲みたいとも思わない。
しかし10分後、口中に変なえぐみは残っていません。 むしろ爽やか!
何とも不思議です。
また部屋に残った残り香が何時もより甘く感じます。

このブログを書き終えたら、実験に使った焙煎済みのコーヒー豆をもう一度焙煎して(2度焙煎)いつもの深煎りフルシティーローストにして美味しくいただきます。
2度焙煎のやり方今度説明しますね。

2011年6月3日金曜日

創る心

この歳になるまでずっと物を作ってきました。模型飛行機、模型の飛行船、建築模型、機織り機、カヤック、アンプ、スピーカボックス、楽器、・・・自分の為?

数年前に知人から指が不自由なお子様の為に、キーボードが打てるようなガイドを頼まれた。
人の作ったものがあるんですが、これがすぐ壊れるので困って僕に頼ってきてくれたわけで
じっくり2ヶ月かけて作りお渡しすることができた。女房がそれを触って「指が吸い込まれるように気持ちがいいねっ!」って言ってくれた。それから数ヶ月してお母さんがきて「子供がとても喜んで使っています。」とうれしそうな顔で話してくれました。

相手がいる時に、どう考えて作るか。「相手の為に」それに神経を集めて作るわけであり、自分の経験や知識を動員して作り上げた物が喜ばれ、感謝され、認められた時、僕の心も喜びました。

<人の心がうれしくなる物や事を作る>をお手伝いすることが僕の役目だな。

2011年5月31日火曜日

さあ、始めるぞ!

「ばっちゃん」は僕が子供の頃についたあだ名。
いまだに悪友たちはこう呼んでくれます。
これから手作りキットのできるまでのあれやこれや、僕のガキの頃は・・等々、なにかを創り出す事をネタに思いつくまま書き綴ります。

僕 は去る1982年に祖父が作った紡績会社に跡取りとして入社。この会社を変えてやろうという思いが強かったのを思い出します。でも紡績業は古〜い業界で、 ましてやお客さんは日本一厳しい一宮の機屋。そんなかで新しい商品を色々考え機械を創って世に送り出しました。始めは「そんなたっきゃ〜(高価な)もん、 誰が買うか〜!」と目もくれなかった人がコツコツと続けていくと「ありゃ〜あんたが作とったよな〜」って指名買いもされました。
しかし入社した当時は順調だった会社も、だんだん外国産の進出や需要の低下によるダメージがとてもきつくなって、自分たちの力ではどうしようもない状況に陥ってきました。

元々この会社はこのままではダメになると思っていて、「変えてやろう!」って思いで入社したはず。
<そうだ!変えよう。>

その時に一番大事なのは自分の右腕。じっくり考えて出た答えが僕の弟だったんです。当時名古屋のりっぱな会社でがんばっていた弟を引きずり 込んで良いか悩みましたが、他にはいませんでした。決断して確か名古屋の上前津にある居酒屋で「じつは・・・」と切り出し、それからとても辛い思いもさせ ましたが、紡績を廃業させ二人だけで新しくアウベルクラフトを創業したんです。
新しく縫製業を始める時、大きなミシンを引き取った帰りの車中で「これから新しいことが始まるんだ!からだが熱く燃えるな!」と語り合ったのを覚えています。
それからは「僕たちの熱き想い」http://p.tl/lVsLに続き今のアウベルクラフトがあるんです。

それまでは何をやってたか?って。
追々書いていきますね。